あらすじ
司馬遼太郎畢生の大長編!
西郷隆盛と大久保利通。ともに薩摩藩の下級藩士の家に生まれ、幼い時分から机を並べ、水魚の交わりを結んだ二人は、長じて明治維新の立役者となった。しかし維新とともに出発した新政府は内外に深刻な問題を抱え、絶えず分裂の危機を孕んでいた。明治六年、長い間くすぶり続けていた不満が爆発。西郷は自ら主唱した“征韓論”をめぐって大久保と鋭く対立する。それはやがて国の存亡を賭けた抗争にまで沸騰してゆく――。西郷と大久保、この二人の傑人を中心軸に、幕末維新から西南戦争までの激動を不世出の作家が全十巻で縦横に活写する。
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Posted by ブクログ
「翔ぶが如く」第1巻は、明治維新を詳細に描いた全10巻シリーズです。この第1巻では、川路と桐野、西郷隆盛の偉大さとその離反の理由、征韓論、島津久光、薩摩隼人等がテーマとなっています。
まず、川路と桐野の対立が描かれています。謹厳実直な川路と豪放磊落な桐野の対照的な性格が興味深く、彼らの行動は相手との間合いを保つことで偶発的な戦闘を避ける姿勢を学ばせてくれます。
次に、西郷隆盛の偉大さとその離反の理由についてです。西郷は部下や敵対した藩に対しても尊大な態度を取らず、その謙虚さから庄内藩に西郷遺訓が残りました。しかし、黒田や川路はヨーロッパを見た後、西郷の魅力が薄れたと感じました。新政府の腐敗に失望した西郷の生活ぶりは川路に不安を抱かせましたが、その言動は「命もいらず名もいらず名誉も金もいらぬ人は始末に困るものである」として名を残しました。
征韓論は、西郷が革命の成功による不要なエネルギーを没落した階級への憐憫に向け、外征を通じて救おうとしたと理解されます。朝鮮に攻め込むのではなく、まず大使として東アジア共栄のために話し合おうという意気込みでした。ただ、島津斉彬は、日本の危機を防ぐためには機先を制して支那に兵を送るべきだと考えたことは残念です。これを西郷が信奉していたとは思えません。
島津久光に関しては、西郷と大久保を反逆者として許せず、彼らが島津家を騙したと非難しました。しかし、圧倒的に人気がある西郷を逆臣扱いにした久光の評価は斉彬ほど高くありません。
薩摩隼人については、敏捷性と武士の意味を持ち、今でも鹿児島県人の優しさとして少しは受け継がれています。
最後に、著者の広範な歴史知識がこの作品に深みを与えています。明治維新を好意的に描写し、その後の日本の手本となったことが感じられます。
Posted by ブクログ
司馬遼太郎作品において正直前評判があまり良くなかったので、期待はしていなかったが、個人的にはとても面白かった。
西郷隆盛という、歴史的偉人について、司馬遼太郎作品らしく、多くの史実や独自の視点から紐解いており、改めて尊敬すべき偉人だと感じる。
ここからどのような展開になっていくか楽しみである。
Posted by ブクログ
久しぶりに読み返したらややイメージが違かった。
学生時代に結構読んだ司馬遼太郎、今読むとまた含蓄が違う。
時代が令和になっても面白い。
情報量が多いので面白かった所は忘れないようにマーキングしておこう。
Posted by ブクログ
秀作。
司馬遼太郎、流石。その中でも長編大作。面白い。
若い頃は、大久保を尊敬していたが、歳を重ねて西郷が好きになってきた。
綿密な調査、凄い。
さすがに長い。
今の日本にも引き継がれている政治家の隠蔽、庶民を騙す手口。政府は信用ならない。計画性なんて無いと疑ってみる。
日本人は、野蛮だと、つい150年前の出来事。忘れてはならない。
Posted by ブクログ
龍馬がゆく、燃えよ剣、世に棲む日々、と幕末を描いた司馬作品は多いけど、これは明治維新後の話。坂ノ上の雲に繋がる作品。重い固い話なんだけどこの作品だけ残ってたから頑張って読もう。
Posted by ブクログ
司馬遼太郎の本で一番好きかも。
西郷隆盛という人間が俯瞰して書かれている(と思われる)点がいい。小説にありがちの架空の人間関係があまり登場しないのもいい。
Posted by ブクログ
文中の、大久保が留学中の大山巌に手紙で伝えたなかの「国家の事は、一時的な憤発とか暴挙とかでもって愉快を唱えるようなものではない」ということばが、自分の身にしみました。
「国家」を「自分の人生」に置き換えて、反芻しています。
Posted by ブクログ
これまでの司馬遼太郎作品と比べるとなかなか進まなかったのが正直なところ。
でも巻末に近づくにつれ、島津斉彬に対する西郷隆盛の忠誠心・想い、その想いを汲んだ”征韓論”の位置付けが明確になってきた。
というより、孤島としての日本の歴史に染み付いている畏れみたいなものが見えてきた。
Posted by ブクログ
「尊王攘夷」のスローガンで始まった筈の倒幕運動から、明治維新が為ってみたら、幕末からの開国方針が何も変わっていないという、この歴史の流れが、長らく釈然としなかったのだが、これを読んで、漸く腑に落ちたというか――当時の士族達も釈然としなくて、だからあちこちで士族の反乱が起きて、最終的に西南戦争に至ったのね、と。しかし、旧支配層の武士は既得権益を取り上げられ、庶民は税金やら兵役やら負担が激増した、この明治維新という大改革が、よく破綻・瓦解しなかったものだという、新たな疑問が湧いてきた。
Posted by ブクログ
読めばきっと大久保利通を好きになる作品。
司馬遼太郎の良いところは、好きな登場人物を持ち上げ過ぎないところじゃないかと思う。長州人のこと好きだよね?・・・ね?
Posted by ブクログ
西南戦争の物語。全10巻なので導入の導入という感じ。
日本の近代史は、明治維新という輝かしい改革に始まり、太平洋戦争の敗北という悲劇的結末に終わる。
生命は生まれた時に死も内包しているというが、大日本帝国にしてもそうだろう。
西欧列強に伍さんと近代化を目指すことは是としても、アジアへの進出は後世では侵略として語られることになってしまっている。
現代の価値観で裁くことは愚かだが、それでも別の方法があったのではないか。
それを成さんとしたのが西郷隆盛だったのである。
・・・と、大袈裟かもしれないが、私はこのように読んでいる。続きが楽しみ。
Posted by ブクログ
~全巻通してのレビューです~
主人公の西郷隆盛が捉えどころのない茫漠たる人物として描かれているので、読後の感想も何を書こうかといった感じで難しいですね。
西郷は征韓論を言ってた頃はわりとはっきりした人物像でしたが、西南戦争が起こってからは戦闘指揮をするわけでもなく神輿に乗ってるだけでしたから。
司馬先生ももっとはっきりした人物が浮かび上がってくる見込みをもって描かれたのではないでしょうか。
もう一人の主人公ともいうべき大久保利通は一貫して冷徹で寡黙な人物として描かれてます。
台湾出兵後の清との交渉では、大久保の粘り強さと決断力炸裂で面白かったですね。
あとは、やはり最後城山で薩軍が戦死する場面が良かったかな。
テロリスト桐野や狂人のような辺見はずっと見てきてお腹いっぱいに感じてたので、やっと終わるかと。
読んで爽快感が得られる本ではないので、評価はなかなか難しい作品かと思います。
でも、この日本という国を理解するうえでは、読むに欠かせない作品かと思いました。
Posted by ブクログ
さすが、司馬遼太郎だないう感想。
期待を裏切らない。
あまり前知識を入れずに読み始めたために、
西郷や大久保、木戸孝允が話に絡んでくるまで、話に入り込めなかった。
しかし、少しずつ話に入り込むと、明治日本を作った人間たちのそれぞれの思いや行動に、時には納得し、時には疑問に思うこともありながら、それぞれの正義に向かって進んでいく姿勢にワクワクしつつ読み進めてしまう。
Posted by ブクログ
p.194-195
かれは一方では自分のつくった明治政府を愛さざるをえない立場にあり、一方では没落士族への際限ない同情に身をもだえさせなければならない。矛盾であった。
矛盾を抱えたまま、西郷隆盛はどのような道を歩んで行くのか…。残り9巻。ゆっくり楽しんでいこうと思います。
Posted by ブクログ
全10巻の1巻だから、本当に序盤の序盤。
まだ面白いかどうかは、判断はつきにくい。
今、毎週 大河ドラマも観ているからその内容と同じ?と思ったけれど、こっちはもっと先の維新後からのスタートだった(あらすじは、よく読みましょう;;;)
今年、維新を迎えてから150年目の節目に当たる。先人達の熱い息吹と、血潮を感じてみるのも良いものである。
Posted by ブクログ
以前、鹿児島に住んでいた時に読んだので、15〜16年振りに再読。御一新が成就して新たな時代がスタートし、盟友の西郷さんと大久保さんの関係に距離が出てきた。最後にあった師匠とも言える島津斉彬公のお話は興味深く、征韓論は斉彬公のアジア同盟構想からスタートしたことは、なるほどと思わせることはあり、久しぶりに照国神社に行きたくなった。
Posted by ブクログ
歴史は倫理ではなく感情の結果として成るという形容のままに、維新前後に現れた天才達の心理描写を深く描いている。
坂の上の雲でも描かれた郷土意識なくして明治時代は語れないようです。
主な登場人物を整理して読むと理解しやすい。
〈備前佐賀〉
江藤新平
大隈重信
大木
〈薩摩〉
大久保利通(日本最大の策士)
東郷平八郎
島津斉彬
島津久光(保守主義)
川路利良(警視総監)
〈公卿〉
岩倉具視
三条実美(さねとみ)、新国家の首相
〈土佐〉
板垣退助
坂本龍馬(既に死せる)
〈長州〉
木戸孝允(たかよし、桂小五郎)
井上馨(かおる)
山県有朋
大村益次郎(首相、暗殺)
高杉晋作(既に死せる)
伊藤博文
副島種臣
桐野利秋(陸軍少将)
氏の作品らしく、その他多くの人物が登場して知的好奇心を十分に満たしてくれ、この時代に大いに興味を掻き立てられる。
しかしこの流れで10巻もあるなんて、しかも維新成立後からの物語とは。。
Posted by ブクログ
来年の大河ドラマの主人公、西郷隆盛についてここのところ何冊か読んでいるが(海音寺潮五郎氏の西郷隆盛・伊東潤氏の西郷の首等)やはり司馬遼太郎作品「翔ぶが如く」に尽きますね。10年ぶりくらいに読み直しです。
Posted by ブクログ
【あらすじ】
明治維新とともに出発した新しい政府は、内外に深刻な問題を抱え、絶えず分裂の危機を孕んでいた。
明治6年、長い間くすぶり続けていた不満が爆発した。
西郷隆盛が主唱した「征韓論」は、国の存亡を賭けた抗争にまで沸騰してゆく。
征韓論から、西南戦争の終結まで新生日本を根底から揺さぶった、激動の時代を描く長編小説全10冊。
【内容まとめ】
1.西郷隆盛・大久保利通の出生からではなく、明治維新後の物語
2.薩摩隼人という現代日本人とは一線を画す民族の詳細
3.薩摩隼人は「得たいが知れない」!!
【感想】
日本史はとても面白い。
いつの時代も魅力的だが、やっぱり個人的に特に好きなのは、幕末から明治初期にかけてのこの激動の時代だな!
とは言え、坂本竜馬を主人公とする「竜馬がゆく」以外はあまり詳細を知らなかったこの時代の出来事。
戊辰戦争?鳥羽伏見?うーん、新撰組の終焉なども含めて、この数年はポッカリと穴が開いたようにあまり詳しく知らない・・・
「翔ぶが如く」の主人公は、西郷隆盛・大久保利通を始めとする薩摩っ子たち!
桐野利秋、川路利良(としなが)も、やや属性は違うものの薩摩の血を強く感じる魅力的なキャラクター。
余談にそれる度に彼らと疎遠になってしまうので、余談は楽しいけど寂しさが勝ってしまうんだよなぁ・・・
また、「はじめに」の内容が面白すぎる。
筆者・司馬遼太郎でさえ主人公である薩摩隼人の全貌が分からないというのだ!!
・行動が俊敏
・「自分たちこそが日本人」という確固たる優越感
・やさしさとユーモア
・気性の荒さと残忍性
確かにこの人たちは「得たいが知れない」よね!!笑
同じ時代にこんな奴らが居たとすれば、こんな安穏とした生活は送れなかっただろう。
余談にそれなければ、半分、いや3分の1程度のペースで物語が終結するのではないか?
勉強になるし、学校では絶対教えてもらえない歴史の内面が詳しく知れて楽しいし、なによりそれが司馬遼太郎作品の良いところなのは否定できないが・・・
早く物語の続きが見たい!!!!笑
長編ですが、のんびり読もうと思います。
【引用】
「君たちは得体が知れない」
隼人と呼ばれるほど行動が敏捷で『自分たちこそ日本人の原型である』という優越感を持ち、優しさとユーモアが共通していて、不思議としか言いようのない気配を歴史の上に投影した薩摩藩民の物語。
こういう機微が分からなければ、うかつに薩摩のことは書けないとまで思い悩んだとのこと。
p75
大久保は執拗な性格を持っている。
物を考えるときには眼前の人間を石のように黙殺することができた。
彫りの深い端正な顔には無用の肉はすべて削ぎとられていて、どうやらそのことは容貌だけでなく精神もそのようであった。
彼は仕事をするためにのみ世の中に生まれてきたかのようであり、他に無用の情熱や情念を持たず、そういう自分の人生に毛ほどの疑いも持っていなかった。
p82
・隆盛は間違い、父の名前
通称 吉之助、名乗りは隆永
西郷は訂正しにもゆかず、彼自身は常に吉之助を称していた。
自分の名前などどうでもいいという桁外れたところがこの兄弟にあった。
Posted by ブクログ
「翔ぶが如く」司馬遼太郎さん。文春文庫で全10巻。1972-76の新聞連載小説だそう。
日本史上、最大規模で、最大に哀しくダイナミックな、「幼馴染の、かつての親友同士。歳月を経て対立、そして殺し合い」の叙事詩。
「オトコとオトコの思いが、銃弾と血の中で、歴史を描いて、炸裂する」という感じ。
オトコ友情路線とすると、「ヒート」とか「RONIN」とか「ミスティック・リバー」とか「男たちの挽歌」とか「仁義なき戦い」とか。
そういう趣もある、巨編です。
#
(元が長い、かなり無愛想なところもある小説ですし。
以下、完全に自己満足な備忘録、メモです)
#
出来事としては、明治6年(1873)の「征韓論騒動」から始まって、明治10年の西南戦争、そして明治11年の大久保利通の暗殺までを描きます。
つまり、5年間のおはなし。
水滸伝か!
… と、いうくらいに色んな人が出てきて魅力的に描かれます。
が、まあ、主に言うと。
敵味方に分かれて戦う幼馴染のふたり。西郷隆盛、大久保利通。
そして、それぞれの番頭的な部下である、桐野利秋(幕末では西郷のボディガードとして「人斬り半次郎」。明治後は軍人)、そして川路利良(日本の警察制度を作った官僚)。
という四人の薩摩人がいちおう主人公。
なんですが、序盤から話はあちこちに飛び。
大勢の人物が出てきて、それぞれ立ち位置や経歴やエピソードが描かれ。
それぞれの事件について、流れの中でどういう位置づけなのか、幕末からの経緯が語られる。
司馬遼太郎さんの小説の中でも、だいぶ、「散文的」になってきている。そんな大長編。
ですが、オモシロイ。
#
「ちょんまげで、徳川幕府で、年貢で鎖国だった日本が。
洋服で政府で税金で、外交官とか外務省とか、そういう近代国家になる」
ということを、とにかくわしずかみに描いています。
それが、ものすごいわくわく感。
#
なんとなく、「幕末」というのはイメージがあります。
どうやって、徳川幕府が倒れたか。
言ってみれば、戦いですね。
坂本竜馬、新選組。
ところが、その後、どうやって「明治日本が出来上がったか」というお話です。
つまり、
「えっと、どういう国にしようかな...」
というところから始まるんです。
もう、無茶苦茶に乱暴で、混乱で、混沌なんです。
#
そもそも、新しい政府っていうのは、どういうことかというと。
徳川慶喜が「大政奉還」します。
「もうガタガタいうのなら、幕府、辞めます。わたしは、徳川っていう一人の大名になります。ぢぁ、日本の仕切りまとめ、っていうのはさ、朝廷がやんの?やってみろよ」
ということです。
押し付けられちゃって出来たのが、「新政府」。
何の能力も無い、公家と天皇家だけなんです。
もちろん、何も出来ません。
彼らは、薩摩、及び長州の、
「言いなり木偶のぼう」な、だけですから。
つまり、薩摩と長州の、せいぜい30代~40代前半くらいの若者たちが、徳川慶喜から「ぢぁあ、お前らやってみろよ」と、「日本」を投げられちゃいました。
#
「新政府」というのを企業に例えば、天皇家と公家だけいる、ペーパーカンパニーだったんです。
実際は、「薩摩」とか「長州」というよその大企業の、課長クラスか係長クラスの連中が、彼らを動かしていました。
仕方がないから、薩摩長州から人材を「新政府」に入れる。つまり、出向みたいなもの。
急造新政府は、直属軍隊が1名もいない、というむちゃくちゃな政府。
その上、お金もまったくありません。
結局、「大政奉還」という寝技を前にして手も足もでなくなります。
そして、ヤクザのように「とにかくさあ、徳川さんよお、政権だけぢゃなくて、財産もこっちよこせや」という難癖をつけるしかなくなります。
もう、正義もへったくれもありません。
こうして、鳥羽伏見の戦い。戊辰戦争。江戸無血開城。彰義隊。会津戦争。五稜郭...と、内戦が続きます。
戦争自体には、勝ったり負けたりでハラハラドキドキのドラマがある訳ですが、まあ、これは新政府が勝ちます。
(このあたりの、どうやって勝てたのかっていう魔術が「花神」という小説、大村益次郎という人物)
で、どうするか、なんです。
#
結局、徳川幕府の時代、というか江戸時代っていうのは。
「武士」という階級のひとたちがいっぱいいて。この人たちは、まあ、行政官、政治家、役人、国家公務員、地方公務員、だったりするんですが。
それにしては、人数が多すぎたんですね。
もうとにかく人数が多すぎる。そしてほとんどが、簡単に言うと、働いていないんです。
でもこの「武士=無駄な正社員」たちを食べさせないといけない。なので、農民から搾取します。農民は悲惨です。
そして、「武士=正社員」たちには、「米」をギャラとして渡す。
というのが、仕組みだったんです。
ただ、長い平和のお蔭で、経済と流通が発達します。
コメ本位では、経済的に行き詰ってきます。
なので、勘の良い企業(藩)は、内実として「コメ生産に完全に依存する経済」からの脱却を図っていました。
それが成功した藩は、お金に余裕が出来ます。幕末に、政治活動とか軍事活動を行うゆとりができます。
(つまり、多くの藩は、幕末に政治活動とか戦争とか、そもそもやる余裕が無いところが多かった。もう、生きてるだけで精いっぱいみたいな経済状況)
#
さて、「新政府」と言っても、色んな意見と色んな思想があります。
その中で、実績があって、世界観やビジョンがあって、意見を通す実力がある。そういう人物は誰だったのか。「明治初年~6年までの新政府」っていうのは、つまり、誰のことだったのか。
西郷隆盛。大久保利通。木戸孝充。
この三人なんです。
生きてさえいれば、大村益次郎、坂本竜馬、中岡慎太郎、あたりもここに割り込んでいたでしょう。
でも、死んぢゃってますから。
上記三人に、一段落ちたところに、
江藤新平、井上馨、伊藤博文、黒田清隆、山形有朋、大隈重信、板垣退助、勝海舟...と言った面々がいる、という様相。
(他に、岩倉具視、三条実美なんかもいますが、あくまで乗っかっているだけで、ゼロから国体を創造する、という意味では、「その他大勢」に過ぎないと言えます)
さあ、という訳で。
「西郷、大久保、木戸は、どういう国を作ろうと思ったか」
ということです。
#
幕府を倒す、というエネルギー、幕末というお祭りは、ペリーが浦賀に黒船で来て、武力脅迫で鎖国を破った事件への、反発から始まりました。
とんでもないことなんですが、
「日本何千年という国法、鎖国を復活せねば」
という、誤解の情熱なんです。
歴史教育というのは、恐ろしいものです。
「鎖国を貫けない幕府を糾弾せよ」
「そんな幕府なら要らない」
「天子様を中心に新しい体制で、鎖国復活だ」
という流れなんです。
ところが。
#
ごくごく一部の、インテリさんたちだけが。
「どうも、中国などの例を学んでみると。
それから、欧米の現実を知ってみると。
国の仕組み、工業能力がかけ離れている。
下手すると、ほんとに植民地にされちゃう。
防ぐためには、神州不滅、神風だのって吠えてちゃ、だめなんちゃうか?
彼らのマネをせな、仕方ないんちゃうか」
という、善悪はともかく、戦略的な現実地点を判り始めます。
そして、
「選挙?市民?自由?平等?貿易?経済?
うーん。欧米の、国の仕組みっていうのは...
けっこう実は、良いトコロいっぱいあるんちゃうか?」
「もうこりゃ、鎖国アゲインっていうのは...現実、ありえへんな」
ということまで、感じて来てしまいます。
(主に、いちばん先頭に立って、外国人撤廃運動=攘夷 を突っ走った、長州と薩摩の実務担当者たちが、初めにそれを痛感します。つまり、西郷であり、大久保であり、木戸です)
#
徳川慶喜だろうが、勝海舟だろうが、坂本竜馬だろうが。
そして、生き残って勝ち組になった、「西郷、大久保、木戸=新政府首脳」にしても。
各々にエゴや事情はありますが、国家をどーする、という次元では、
「中国みたいに、植民地、あるいは準植民地みたいにならないように、する」
というのが圧倒的に第一位の強烈な焦りであり、欲望であり、危機感なんです。
その為に、どうしたらええんやろ。
日本刀では、銃に大砲に軍艦に、勝てない。
銃、大砲、軍艦、を、買わなきゃ。
作らなきゃ。
その上、徳川幕府から引き継いだ、「負の遺産」があります。
「不平等条約」です。
訳の分からん間に結んでしまった条約は、
「貿易をしてもまともに関税が取れない。つまり、経済的に搾取されるばかりになる」
というヤバイものだったんです。
このままぢゃ、経済的に「準植民地」にされかねません。
武力として強くならないと、イザという場合に話にならない。
それだけぢゃなくて、
「ほら、皆さんと同じ、文明国家ですよ」
という姿を見せないと、「条約改正」が行えない。
これが、新政府の課題です。
つまり、西洋風の近代国家にならねば、あかん。
#
近代国家には金が必要です。
だけど、金が無い。
「新政府」は「大名サイズ」で言うと、そんなにデカくないんです。
その上もう、コメ本位でぶんまわせる金額では、近代国家に必要な、「議会、学校、病院、軍隊、エトセトラエトセトラ」は、経営できません。
「武士」という人々を「リストラ」しなくてはならぬ。 = 廃藩置県。
#
廃藩置県。
これは、すごいことだったんですね。
どうしてかっていうと、日本全国の武士たちが、政令ひとつでイッキに無職になってしまう訳です。
なんというか、大量にいた、全国の地方公務員たちが、紙切れ一枚で、「明日から無職」という感じです。
更にすごいのは、結局、明治維新とか、戊辰戦争とかっていうのは。
彼らこそが、武士たちが、成し遂げたわけです。
100%とは言いませんが、ほぼ100%。
武士が頑張って、武士が戦って、武士が命を賭けて、達成した事業なんですね。
しかも、彼らのほとんどは「鎖国アゲイン、アンチ西欧」という謳い文句で踊った訳です。
#
なので、つまり。
勝ち組の武士たちからすると、啞然、憤然、激怒、だった訳です。
さらにたちが悪いことに、「西郷、大久保、木戸」を筆頭に、「勝ち組の武士たち」の一部の連中は。
東京に呼ばれて「政府の大臣とか高級官僚」になっているわけです。
そこでは、勃興する資本主義とともに、高給を取り、商人に接待を受け、多くが浮かれて豪華な暮らしをしていたわけです。
そして、そういった少数の勝ち組は、思いっきり西洋化していく訳です。
これぁ、地方にいる、勝ち組(だったはずの)武士からすると、最早、殺意な訳です。
だって、こっちは一方で、突然ギャラがほぼゼロになって、路頭に迷っているんです。
#
結局、「翔ぶが如く」っていうのは、つまりこの「廃藩置県」の余波の話なんです。
もっと言うと、「武士階級の滅亡に伴う、壮大な反発の叙事詩」な訳です。
そこには、250年の江戸時代に、思想にまで高められた「武士道」みたいな精神が、無価値に落とされることへの反発があります。
「武士道」的な、実に前近代的で、実に非経済的な、美学みたいなものの、追い詰められた自爆の花火の壮麗さです。
#
武士たちは日本全国で猛反発です。
さらには、国民皆兵によって、「武士以外が、兵士になる」ということも、激怒を買います(大村益次郎さんは、コレがどうやら主原因で暗殺されたようです)。
一方で、農民だってたまりません。
根本的に農民にとっては、維新とか、近代化とか、全般的にどうでもいいんです。
なのに、勝手にそうされて、税金がコメではなくて、現金になります。
現金なんか作れません。全国で小規模百姓が、税金のために小作農に身を落とします。
その上、慣れない「近代化」を進める中で、まだまだ「国家官僚」の意識、モラルも低く、全国の地方行政でも汚職不正がはびこります。
全国で、百姓一揆も頻発します。
(司馬さんが書いていて面白かったのは、全国の百姓一揆と、「怒れる武士たち」が連携したら、政府は恐らく倒れていただろう、という。
でも、そうならなかった。なぜなら、「武士たち」は、百姓と連携することなどを、拒否するプライドがあったからこそ、怒っていたんですね。
ここンところ、なるほど、と、面白かった)
という訳で、つまり。
明治6年~明治11年くらい、この物語の頃っていうのは、明治新政府も、かなり辛かった。
ぎりぎりのところで資金をやりくりして、不渡り寸前でハラハラの経営に追われる中小企業の経営者みたいなものです。
#
で、結局。
西郷さんは、「新しい近代的な国民国家」、もっと言うと「武士無き世界」っていうものが、生理的に受け付けなかったんですね。
恐らく、理性では判っていたんでしょうけれど。
大久保さんは、その国民国家の成立のために、命を賭けることが出来た。そこに向けた、苦しい中小企業の経営の道筋が見えていた。
リストラの非難をかぶって、誹謗中傷されても、折れない強さがあった。ハードボイルドな、経営者だった。
(木戸さんは、頭が良くてほぼすべてを見通せていたのでしょうが、評論家タイプだったようですね。)
(ちなみに面白かったのは、大久保、木戸は、始めから、[やがては選挙、憲法、議会。ある程度の民主主義が必須だ」と、思っていたんですね。「ただ、まだ早い」と。)
#
そして結局、西郷さんという、「武士的、男性的、人望を肉体にしたような男性」は、不満武士の暴発に担がれて、大将になってしまいます。
確かに、この前後の史実に残っている西郷さんの言動を見ていると、もうなにか、悟ったかのような、無抵抗な「おまかせ」で生きています。
そして、明治政府の軍隊、大久保政府に敗北して死ぬことで、「武士の時代の終り=明治維新の完成」の立役者になるんですね。
#
この西郷と大久保、というのが、結局はほぼ同じ村、同じ町内から出てきた、同じような下級武士。
少年時代からの親友同士。
ふたりで、唯一無二の「相棒」として、薩摩藩で頭角を現して。
京都に、江戸に登り、時世に身を投じ、白刃の下をくぐり、陰謀と密談と度胸比べを生き残って、「新しい日本」の幕を切って落としたんです。
そんなふたりが、ふたりして生き残ってしまった。
そんなふたりが、互いに、日本を二分する巨大勢力の主として、戦争を戦う。
近代以降の日本で最大規模の内戦の、両首領となるんです。
うーん。これはもう、ドラマですね。
「マイク&ニッキー」。
「インファナル・アフェア」。
うーん。もっとスケールがデカい。
日本史ってすばらしい。
#
全体に随想風な部分も多いです。
更には、時系列を行ったり来たりしながら、明治維新とは、明治の国作りとは、という風景を、編み物を編んでいくように見せてくれます。
面白いことこの上ないんですが、やはり、司馬さんの幕末モノをある程度読んでからぢゃないと、多分、根気が続かずに挫折すること、請け合いです(笑)。
実は僕自身、今回が恐らく30年ぶりくらいの再読になるんですが、10代の頃に読んだ初回は、恐らくあまり面白いと思えずに、意地で読み切った気がします...。
「燃えよ剣」あたりからは入って。
「竜馬がゆく」を愉しんで。
「世に棲む日々」で長州っていう風景を知って。
「花神」で大村益次郎と共に、明治2年まで生きて。
それから「翔ぶが如く」。
が、良いような気がしました。
そして、万が一(?)、無事に「翔ぶが如く」を完読して、かつ楽しめたら。
冷めないうちに「坂の上の雲」に進む。
というのが、「翔ぶが如く」の(そして「坂の上の雲」の)正しい味わい方な気がします...。
Posted by ブクログ
平成29年4月
司馬遼太郎の本が好きなので、読み始めた。
江戸の時代が終わり、次の時代が始まろうとしている変革期のお話。
作るって大変だよね。
江戸幕府を倒して、じゃあ、って言ってもね。
みんなもっている考え方が違うんですもの。
西郷と大久保と木戸と・・・。さてさて、ここからどうなるのでしょう。
Posted by ブクログ
明治維新後の日本政府を様々な視点から書いた歴史小説。歴史小説というか歴史資料と言っても差し支えない程、詳細に説明している。
第一巻では主に、それぞれの観点からみた「征韓論」について述べている。征韓論は国を滅ぼす危険性を持つという考えや、士族のやり場のないエネルギーの矛先となり日本を活気づけるという考えなど様々なものがあった。
この時代に列強国へ赴き、自国の遅れと向き合い未来の日本のために事を為そうとした人がいた。その一方で、幕末の革命の熱気に当てられ続け、先の時代を見据える事が出来ていない者たちにも焦点を当てていた。今日、もしかすると自分は後者なのかもしれない。未だに学生時代を引きずり前に進めていないのかもしれない。これを期に先の時代に目を向けられる大久保や川路、岩倉のようになりたいとかんじた。
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鹿児島に行く機会があり、新政府軍に反旗を翻した人物でありながら、なお薩摩の英雄として厳然と存在感を放っている西郷隆盛という人物についてもっと知りたくなり、手に取った。
小説というよりは、司馬遼太郎の維新論が述べられている風だか、やはりきちんと小説として話が進んでいる手法は流石である。
英雄としての西郷ではなく、人間西郷が描かれている。続きが気になる。
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「翔ぶが如く(1)」(司馬遼太郎)を読んだ。
あの遥けき時代・・・明治。
現在の日本国の礎を築いた「異能者」達がいた。
私は日本人にあるまじき程に「西郷隆盛」という人物について無知である。
全10巻かあ。長っ!!
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「小さく撞けば、小さく鳴り、大きく撞けば、大きく鳴る」とは龍馬が行くで龍馬の西郷評だが、その人となりを第一巻では色々描写している、島津斉彬との関係、盟友、大久保利通との立場の違いなど。来年の大河ドラマの予習になった。
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2017年1冊目の読書はこれまでに読んだことのない司馬遼太郎さんの小説。読んだ感想は、司馬さんの西郷隆盛、大久保利通、川路利良の人と成りを考察したものを本にしたものという感じ。過去大河ドラマにもなり、もう少し物語性のあるものを期待していたので、読んでみてその点は期待外れの感が強い。それでも歴史の授業程度にしか知識のない所なので、文章は難しくても興味深く読むことができた。西郷隆盛の人物像がこれまでのイメージとは違い意外な感じがした。引き続き読んでいくかはまだ考え中。感想はこんなところです。
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明治維新後の日本の話しで、幕末に活躍した人達のその後の生き方を知れるということが面白い。続「竜馬がゆく」を読んでいるような感覚だ。作者の個人的感情がだいぶ入っているが、伊藤博文や大隈重信や板垣退助など、エラいことをやったと思われている人達の欠点を欠点としてはっきりと書いていて、彼らもその他と大差ない人間だということが感じられるというのは新鮮な感覚だ。教科書はその人間が行った実績や事実は書くけれども、その人はどういう人間であったかということまでは書かない。どこまでが真実でどこまでが司馬遼太郎の私見なのかはわからないけれども、明治の、今に名が残っている人々の生き方を知ることが出きるというのは面白い。
大久保には厳乎として価値観がある。富国強兵のためにのみ人間は存在する、それだけである。かれ自身がそうであるだけでなく、他の者もそうであるべきだという価値観以外にいかなる価値観も大久保は認めてない。
なんのために生きているのか。
という、人生の主題性が大久保においてはひとことで済むほどに単純であり、それだけに強烈であった。歴史はこの種の人間を強者とした。(p.76)
薩長の士は、佐賀人とは政治体験がちがっていた。個々に革命の血風のなかをくぐってきて、「才略や機鋒のするどさだけでは仲間も動かせず、世の中も動かせない」ということを知るにいたっている。むしろなまなかな才人や策士は革命運動の過程で幕吏の目標にされて殺されるか、そうでなければ仲間の疑惑をうけて殺された。たとえば幕末に登場する志士たちのなかで出羽の清河八郎、越後の本間精一郎、長州の長井雅楽、おなじく赤根武人といった連中は、生きて維新を見ることができたどの元勲よりも頭脳が鋭敏であり、機略に長け、稀代といっていい才物たちであったが、しかしそれらはことごとく仲間のために殺された。結局、物事を動かすものは機略よりも、他を動かすに足る人格であるという智恵が、とくに薩摩人の場合は集団として備わるようになっていた。(p.155)
江戸期の武士という、ナマな人間というより多分に抽象性に富んだ人格をつくりあげている要素のひとつは禅であった。禅はこの世を仮宅であると見、生命をふくめてすべての現象はまぼろしにすぎず、かといってニヒリズムは野孤禅であり、宇宙の真如に参加することによってのみ真の人間になるということを教えた。
この日本的に理解された禅のほかに、日本的に理解された儒教とくに朱子学が江戸期の武士をつくった。朱子学によって江戸期の武士は志というものを知った。朱子学が江戸期の武士に教えたことは端的にいえば人生の大事は志であるということ以外になかったかもしれない。志とは経世の志のことである。世のためにのみ自分の生命を用い、たとえ肉体がくだかれても悔いがない、というもので、禅から得た仮宅思想と儒教から得た志の思想が、両要素ともきわめて単純化されて江戸期の武士という像をつくりあげた。
西郷は思春期をすぎたころから懸命に自己教育をしてこの二つの要素をもって自分の人格をつくろうとし、幕末の激動期のなかにあってそれを完成させた。(p.220)
長州人の集団というのは薩摩人集団とちがい、頭目を戴くということを習慣としてもっていない。幕末、長州藩を牛耳った革命集団は書生のあつまりであった。かれらの師匠は死せる吉田松陰で、死者だけに頭目としての統率力はもっていない。長州の革命秩序は、せいぜい兄貴株の存在をゆるす程度であった。この兄貴株が、すでに亡い高杉晋作と、明治後まで生きて元勲になった当時の桂小五郎、いまの木戸孝允である。
木戸がもし薩摩にうまれておれば悠揚たる親分の風格を身につけたにちがいないが、長州人集団ではそういう型の人間を許容せず、書生気分を維持することを必要とする雰囲気があった。木戸は、あくまでも書生気質を維持している。(p.226)
斉彬はライフル銃を作ろうとした。かれは帰国の前日、幕閣に、ぜひ、そのめずらしいものを拝見したい、と乞い、一挺を借り、一晩でそれを分解して図面に写しとり、幕府に返し、帰国した。帰国後、からは「集成館」と名づけているかれの工場に、「これを三千挺つくれ」と命じた。集成館には、この小銃をつくるだけの工作機械がそろっていたのである。ペリーも、かれが愚弄した日本国のなかでライフル銃を大量製造しうる侯国が存在していることを想像すらできなかったであろう。物理学や化学などの基礎学問や応用化学や機械学などもアメリカのハイスクールやその種の職業学校程度で教えられているぐらいの内容のものは、肥前佐賀藩や薩摩藩ではすでにもっているということもペリーは知らなかった。(p.300)
大隈重信の描写に難あり
司馬氏が早大出身者に私怨でもあるのだろうか。必要以上に大隈重信のことをあしざまにけなしている点が見苦しかった。司馬ファンであるだけに実に残念だった・・・。